2015年5月23日にネットに公開された「作家の口福」シリーズの朝井リョウのエッセイを読んだ。その感想を記す。
【本文】
余った白飯を,ラップに包んで冷凍する。そんなありふれた作業をするたび,私はいまだに,人生で初めてしたアルバイトのことを思い出す。
上京して初めてのバイトは,定食屋のホール業務だった。
からあげ単品とからあげ定職を精算し間違える。季節ごとに変わる特別メニューが覚えられない――アルバイトで使う脳の回路は勉学で使うそれとは全く違い,なんとなく勉強ができたというだけで挫折も知らずのこのこ生きてきた田舎者は大層焦った。それでも,ベテランバイトであるTさん,がっしりとした体つきの元ラガーマンの店長(共に男性)に助けられながら,私はなんとか業務をこなしていた。
ラストオーダーの時間が遅かったこともあり,電車を使わずに家へ帰ることができる人――店長,Tさん,私で締め作業をすることが多かった。そして当時の私は,締め作業後に始まる恒例行事が,実は少し,嫌だった。
白飯,味噌汁,肉系・魚系のおかず。次の日に持ち越すことのできない残り物を,皆で食べまくる――これが締め作業後の恒例行事だった。捨てるのはもったいないし,若いバイトたちは喜ぶだろうという店長の考えはもっともだが,お腹が弱いという習性を持ち合わせている私にとって,深夜一時の暴飲暴食は避けたいイベントだった。
それでも残った白飯だけは,ラップに包んで持ち帰ることが許された。ご飯一杯分にしては明らかに大きな塊を次々に渡してくる店長の笑顔は眩しかったが,私のアパートの冷凍庫はあっという間に白飯で埋もれたのだった。
店長は良い人だった。きっと本人がそうだったのだろう,学生はいつでも腹を空かせていると信じて疑わなかったし,私もどこかで,学生としてその期待に応えなければと思っていた。
ある日,Tさんと帰り道を歩きながら,私はぽつりと言った。
「締めの後のアレ,ちょっときついですよね。結局帰れるの三時とかになりますし,夜中に腹パンパンですし」
ぼやく私に,Tさんは呟いた。
「俺この店長いんだけど,店長,全然違う店舗から飛ばされてきたみたいで,初めは結構大変そうだったんだよ」
Tさんは煙草を吸っていた。私のリュックは,まだ温かい幾つもの白飯の塊で,ずんと重かった。
「あの人,三十半ばでまだ独身だしさ。店長も,さみしいんだよ」
私は今,当時のTさんと同じくらいの年齢だ。今なら,毎日わいわいうるさい若いバイトに囲まれていた店長のさみしさと,店長のさみしさを想像してみたいTさんの気持ちが,ほんの少しだけ,分かるような気がする。
【感想】
・学生の時のバイトという何気ない時間,人間関係,密度にここまでのドラマを見いだせるのが素敵だと感じた
・情景描写が良い。文を読むだけで,当時の景色が鮮やかに頭に浮かぶ。
・自分の身の上を淡々と書く序盤,自分の気持ちを素直に表す中盤,ちょっとしたどんでん返しというか,すこしだけ成長し周りが見えるようになって初めて気づいたことがあることを語る終盤と,書き分けがはっきりしている。こうした,ちょっとした生活を的確に語れるようになりたい。